11
こたびの爆破騒動の主犯らしき男を、爆発物の起動ごと引きとどめておくためとはいえ、
液化窒素による強力な冷気を至近から浴び続け、昏倒したままの敦を案じ。
武装探偵社の医務室、昏睡状態のままな彼の傍らで、
静かに容態を見守っていた太宰と芥川の二人だったのだが。
ほのかに満つる環境音しかしないはずな静寂の中、
小さな小さなカタカタカチカチという堅い音がすることに気がついた。
余りにかすかで時計の針の音かとも思ったが、この部屋には時計はない。
そのくらいに小さな音。けれど、拾ってしまうと妙に気になるそれで。
何の音だかさっぱり判らなかったが、ふと、寝台へ近寄ってみると より聞こえる。
まさかと、そこに横たわる敦へ
芥川がやや覆いかぶさるようになって耳を近づけると、彼から聞こえる音であり。
「芥川くん?」
「歯を、小刻みに鳴らしているようです。」
どうしたのかと問いかける太宰へ、
冴えた造作のお顔を憂慮に曇らせつつ そうと答える。
呼吸補助用の硬質樹脂製 酸素マスク越しにも聞こえるほどに、
どうやら かすかに歯が鳴っているらしく、
それほどにゾクゾクと体の芯から寒いのだろう。
彼を診た頼もしい女医によれば、
このまま安静にしておれば問題はないとのことだったが、
異能にも通じていよう与謝野からの手当ての妨害を為したほど
この子を守ることへ過敏なまでに機能していた、
彼の守護でもある虎の異能に何かあったのだろうか。
「…太宰さん。」
ちらと天井のエアコンを見上げた動作から、
何がどうと言わずとも聡明な彼も察したのだろうに、
黒の青年が視線をやった相手である太宰は困ったような顔になる。
「うん。与謝野さんから、室温はあまり上げるなと注意されているのだよ。」
もしやして、彼を守り治癒に働き続けている異能の働きが
限界を迎えたか 弱まりつつあるという事態かも知れないが、
さりとて急激な変化変動は弱っている身にはよろしくないのだろう。
室内温度をいきなり上げたり、空気を大きに乾かしたりは、
別な刺激となって弱った身を苛むことになるらしく。
それでいいなら、極端な話、電気毛布でぐるぐる巻きにしているところ。
「外傷はほぼ治癒し終えているのだしね。」
そもそも、本来ならば絶対安静なあれこれをもっと抱えていた身。
新しい肌や肉が盛り上がるのを耐えて待つしかないような、
日にち薬という名のじっと待つ辛抱も要るのだとするよな、
銃創やひどい凍傷もあちこちへ負っていたものが、
だが、それらは異能の働きであっという間に回復している。
そんな無謀への帳尻を合わせるという意味合いからも、
急激な対処はご法度と諦めて、可哀想だが此処は見守るしかないものか。
「…。」
太宰の言いようが、理屈としては何とか理解は出来た芥川だったが、
それでも おとうと弟子なんて言いようの下に随分と親しくなっている相手だ。
馬鹿正直で、それゆえに不器用で、
ちょっと前ならそれもまた、こちらの胸中に“愚かな奴め”という棘を生み、
見ていて胸糞が悪くなった正道主義だったが、
今はむかつきなどはせず、むしろ何とかしてやれないものかという方向でじりじりする。
そのような存在の辛そうな容態なのを間近にしては
さすがに落ち着けないというもので。
とはいえ、医師でもない自分に
このような微妙な事象へのケアなぞ出来ようはずもなく。
せめて頬くらいは暖まれと、虎の子の無心な顔へ自身の白い手をそおと伸べた。
すると、
「…っ。」
意識は依然として戻らぬままなのに、
仔猫が擦り寄るようなそれ、敦の側からも懐くように頬を押し付けて来た。
血の気を失ったままの白い頬を見下ろせば、
伏せられたままな瞼の上、
色素の薄い眉が頼りなく下がっているのも視野に入って。
少しでも暖かいものへと身を寄せたいか、
それが如実に現れた所作だったものだったから。
ああこれはやはり放ってはおけぬと切に感じたのだろう。
「…。」
躊躇するよに身動きが止まったのも一刻のこと、
自分の外套の前の合わせに手を伸べると、
扉近くに立っていた太宰の方へと視線を向ける。
何をどうしたいかなぞ、一言も言ってはない彼だったが、
“いやいやいや、判りやすすぎるでしょう。”
貧民街で拾ったこの子は、生きるということに翻弄されていた。
守ってくれる者もないまま、明日をも知れぬ日々の中、だが、聡明でもあったがために
小さな妹と二人、幼いその手で必死に生き抜こうとしつつも
ままならぬ現実に常に怒り、強さを手に入れんともがいていた。
そんな素養へ目をつけ、非情暴虐な悪鬼となるよう、
駒としての火力を伸ばすことのみに興じた罰当たりは他でもない自分で。
育てるということを甘く見、意のままに出来る玩具のように捉えていた失態をのちに恥じたが、
そんな自分が本意ではないながらも放り出してしまった愛し子は、
ただただ殺戮と破壊にのみ手を染め続けていたはずなのに。
再会叶った自分へ従う虎の子へも、複雑によじれた憎悪しか抱いてはなかったはずなのに。
怨嗟の原因が失われ、憎む必要の無くなった敦へと、
するすると親しみ馴染むようになったのは、
だが、それだけが理由ではなかろうと最近になって気がついた。
出逢った当初はさぞや恵まれた環境下で育った子なのだろうとあっさり誤解させたほどに
単純実直で ひたむきで純粋無垢で。
本人こそ誰ぞから手を差し伸べられるべきだろう、災禍によしみが深すぎるところも含め、
ついつい放っておけない、目を離せない敦少年の稀有なる人性に、
気がつけばこの子もまた惹かれていたようで。
“お兄ちゃん属性がこんな格好で目覚めようとはね。”
そのようなものなぞ持ち合わせぬと、
他でもない本人も思っていただろう強い庇護欲をくすぐられたか、
世話を焼いたり構いつけるのが、そのまま心満たされるような相性に飲まれたらしく。
自分も知らなかったほどの それはそれは穏やかな顔をしたり、
ありがとうという笑みへ照れたよにどぎまぎするという、
太宰であれ思いも依らない、
裏社会を席巻中の破壊の覇者にはやや相応しくなかろう意外なお顔、
たくさん見せてもらえもしたほどで。
“お日様みたいな子だよね、本当に。”
いやいや自己主張が控えめだから、異能が冠す名のごとくに月のようというところかな。
自分なんてとすぐに卑下する、自己評価の低いところが歯がゆい子。
マフィアの重鎮を二人も虜にしちゃったのにそんな筈ないでしょと、
だがだがそれを言ったところで通じはすまいと、今から失笑するしかない困った少年。
そんな彼を救いたいと守りたいと思うこと、何でいけないなんて言えようか。
「…うん。」
そのままじいと見つめられた長身の師は、
それだけで彼の意を酌みつつも、好きにしなさいと放り出すのは酷かも知れぬと気がついた。
いまだに こちらからの言葉が足りねば妙な方向へ勝手に察して落ち込むような、
実は火力と反比例して、内面が微妙に至らぬ 何ともかあいらしい子ゆえ。
そのような慣れのない…何かねだるように指示を待つ所作、
示すだけでも気恥ずかしかろうと気づいた、こちらは察しのいいお師匠様。
鳶色の瞳を長い睫毛の影にて埋めるよに、表情豊かな目許をやんわりとたわませて、
「そうだね、済まないが温めてやってくれるかい?」
静かな声で囁くようにそうと告げた。
身長から言えば私が受け持った方がすっぽりくるみ込めるところだが、
そうまで接すると、敦くんの治癒の異能を封じてしまうしね、なんて。
何をしたいか、ちゃんと通じているよと暗に仄めかし、
うんうんと頷いてのこちらも判りやすすぎる許諾の構え。
そうと言ってから付け足されたのが、
「袖は通していても構わないよ。」
そのような一言を寄越してくれて。
自分が風呂は苦手な最大の理由、
身にまとう外套が無くなることが異能を手放すことに通じて
それだと心許ないのでは…という意味ならそれはないとかぶりを振ったが、
「万が一にも他人が寄ることへ、敦くんの異能が警戒するのなら、私が抑えよう。」
ああ、そういう意味かと今になって納得した。
自分も目撃する格好となったそれ、
あの女医の処置へと無意識下で見せた徹底した抵抗のように、
無造作に至近まで近寄ることで、
相手が誰かまでは関係ないとばかり
この子に宿る虎の異能が黒の青年を攻撃せぬかというのを恐れての話だったようで。
ああ、自分もまた相変わらず、
この人の前ではこっそりと、自己評価が低いままなのかななんて苦笑をし、
お願いしますと小さく頷きつつ黒外套をさらりと脱いでしまうと、
寝台の縁に腰かけ、温みが逃げないように素早い動作で毛布の中へ身をすべり込ませる。
寄り添うように横になり、薄手の病衣越しに伝わって来た痩躯の感触は、
判りやすくも冷え切っているという質感ではなかったが、そうかといって暖かいとも言えぬ。
日頃の屈託のない笑顔の印象から受ける温かみは微塵も感じられなくて、
依然として微かに震えていることへ、ああこれはまずいと直感し、
慣れないことだが それでもと、
身を寄り添わせ、相手の薄い肩を懐へと引き寄せようとしていれば、
「…あく、がw。」
胸元間近に仄かな吐息が当たり、
ブツ切れになった呼びかけ、空耳のような微かなそれが聞こえた。
え?と顔を少ぉし離して間近になった相手を見やれば、
薄暮のような微妙な明るみの中、
毛布や枕に掛けられた白いリネンの中へと埋もれかけてる
心許ないお顔に座った双眸が うっすらと剥がれるように開いており。
意外な間合いで眼があってしまったことへ、声も出ぬまま固まっておれば、
また眠いの?と紡ぐ掠れた声が かすかに聞こえた
身じろぎの弾みで吸入用のマスクが外れており、それでやっと聞こえたような小さな声。
どうやら目を開けはしたものの意識はさほど鮮明ではないらしく、
いつぞやに眠さのあまり抱き枕代わりに呼び出した芥川だったこと
今の余りに間近い位置関係から寝ぼけ半分に混同しているようで。(“Good-night baby”参照)
「…あ、ああ、そうだ。徹夜明けだ。」
混乱させるのもある意味で刺激になるやもと、
咄嗟に断じた漆黒の覇者殿、話を合わせてそのように応じれば、
「…しょ、が、ないなぁ…。」
うにむにという譫言に近い抑揚のなさでそうと呟いた虎の子は、
毛布の中で億劫そうに腕を上げ、向かい合う青年の二の腕に触れると、
自分の方へ引っ張りこむよな仕草を見せる。
いつぞや同様に自分の懐へかい込んでやろうという構えらしいのだが、
微睡ながらの仕業ゆえ、力なぞ全く入ってはないのだ、
そのような甲斐甲斐しい世話が焼けるはずもなく。
半ばまでしか開かぬ目許、
宵の空のような紫色ばかりが占める瞳が覗くのが何だか痛々しくて。
「…済まぬな、世話ばかり掛ける。」
静かな声で返しつつ、少し湿った白銀の髪を撫でてやり。
そのまま撫で下ろして到達した肩の奥、
薄い背中へ手を広げ、そおと自分の方へと痩躯を引き寄せて掻い込めば。
温かい処だと察してか、ふんすんと小さく鼻を鳴らしてから、
「……いーによい…。」
ふふーと少しばかり口角を上げ、そのまま寝付いた他愛ない子で。
不審な相手と警戒されるどころか、自分から擦り寄ろうとしたくらい。
どれほど心許されている間柄だろうかと、
本来ならば憮然としてもいいところだが、
場合が場合だ、ほうと安堵の息をついた芥川の髪を、そちらは太宰がさわさわと撫でてやる。
「意識が戻ったのは万々歳だね。」
低められた柔らかなお声がそうと囁き、
黒獣の主のそれ、気に入りの猫っ毛を
よしよし重畳だよと褒めるよに撫で回す お師様で。
「虎の毛並みも発動しないが、こたびはその方がよかったかな。」
あの時のよに、ふわふかな毛並みで癒してやろうぞと掻い込まれてはなく、
むしろ敦の方が芥川の懐へ取り込まれている格好なれど。
異能が発動されないほどに疲れてしまったのも、今の今だけはその方がいい。
恐慌状態に陥って闇雲にもがき暴れることでますますと消耗したり、
落ち着かせようと取り押さえられて、その体を傷つけるよな事態を招いては一大事だからで。
「では、あとは任せたよ。温めてやっておくれね。」
再び寝落ちしちゃったか、すやすやと寝入る虎の子くんを
毛布からはみだしてはないかと見回しながら懐へ入れた、
珍しくも今宵は守役となってしまった青年へ、くすすと笑ってそうと託す。
不慣れな事態へは ずんとハラハラさせられたが、
無事な安寧へと帰着した途端、
こうまで深々とした安堵の高まりに襲われ、しかもそれが途轍もなく暖かい。
振り回されたぞ、体のいい骨折り損だったと、微妙な憤懣が居残ることもなく、
だから日頃から言ってるだろうと、隙のあるところを正してやらねばとの焦燥も湧かず。
ああ無事でよかったと、またあの笑顔を見せてもらえるのだと、
ほこほこと温かい想いしか感じられない出来の良さよ。
“早く気付いてほしいものだな。”
狡猾な狐の小手先の知恵に幻惑されて、
手玉に取られ、翻弄されることもままあろうけど。
精悍で頼もしい虎の絶対的な強さには
くだらない奸計なぞ易々とねじ伏せられて最終的には敵わない。
具体的な力関係の話じゃあなくて、
例えば芯の強い子、誠実な子だというところへ誰もが惹かれ、
キミに足りない部分は自分がと、支えたいと思ってしまう人がどれほどいることか。
私たちにそうと思わせてしまう、そんな尊い子なのだということ、
そろそろしっかと自覚してほしいものだよねと。
優しい眠りに取り込まれている愛し子らの邪魔にならぬよう、声を出さずに頬笑んで。
つややかなリノリウムが張られた床へ、
器用にも足音を出さぬまま そおと立ち去る太宰であり。
「…お。」
医務室のドアのすりガラス越しでは気づかなんだが、
そのドアを開いた先、事務所の大窓が視野に入って。
出先でそれぞれに余程に忙しい事態が出來中か、
誰も戻っては来なかったらしい執務室はしんと静かなまま。
西日を避けてブラインドを降ろす人もなく、
それがためにようよう望める窓の外、
そろそろ早くも宵の兆しが滲み始めている空だと気がついた。
この時期の日暮れは何とも早い。
ちょっと前まではまだ明るかったろに、今じゃあ5時を回れば関東では日も没してしまう。
藍色の暗幕が取り巻く窓の外へ視線を投げた太宰は、
“さて、私も働かなければね。”
白い少年の守護のような神々しさ、道の向こうのビルの上へ昇っていた丸い月を見やりつつ、
携帯端末を取り出すと、手慣れた操作でとあるところへ通話を繋ぎ、
「…あ、ルイくんだね。私だよ。今はその名での応対はまずいのかな?
いや何、先だっての“貸し”を早急に返してもらおうと思ってね。
白露ピョートルのアジト、
ああサロンとかどうとか呼んでたね、そこへのアクセスを取ってほしいのだよ。
キミなら自分の痕跡残さずそのくらい可能だろ?」
やや物騒なキーワードがちらほらするその“入り口”から
更にどこぞかへ“接触”したらしい太宰自身は、
医務室前から微塵も動いちゃあいないのに…。
…………………………………………。
…………………………………………。
…………………………………………。
数刻のちの、木曽の手前辺りのとある山奥にて、
不揃いな砂利をいかついタイヤでぶつごつと踏みにじり、
いきなり現れたどこぞかの軍用だったらしい面影のあるジープや移送車が数台、
それは無造作で横着な運転にて廃屋寸前な某所へ堂々と乗り付けた。
鬱蒼と茂った木々が覆うわ、宵も更けつつあるわという
極端に悪い視界の中でもありありと察せられるほど、
怒り心頭らしき尖ったお顔の、戦闘服姿の異国の輩がどかどかと乱暴に降り立つと、
元は分校だったらしい廃屋へずかずかと乗り込み、
結構な頭数ながらも そこで息をひそめていた、
一応は荒くれとして鳴らしていた新鋭のギャングだか賊だかいうレベルな組織の連中が、
有無をも言わさずという一気呵成の襲撃の下、
これ以上はない問答無用での一方的な殲滅を受けた。
武骨な機関銃に大型拳銃というラインナップで文字通りの弾幕を張るよな一斉射撃が繰り広げられ、
一応はコンクリ造りのはずな建物は見る見るうちに穴ぼこだらけに突き崩されてゆき。
そんな中を、先頭に立って廃屋へ向かったいかにも屈強そうな男は、
自陣営による凄まじいまでの銃撃の雨あられの中、
なのに擦り傷一つ負わずに戻って来て、
その腕へ姫抱きにした人物をそれは大切そうにジープに載せると、
『~~~~~~っ。dazai。』
誰へのそれか、周囲を見回してから異国の言葉で何かを告げて、
祖国の礼儀作法ではなかろうに、腰から身を折っての深々と頭を下げたのが印象的で。
他の面々も同じように頭を深々下げて長に続いてから、
来たとき同様、あっという間に一糸乱れぬ見事な退却を呈し。
あとには冬の初めの寒風と乾いた空気しか居残らず…。
「……中也さん?」
「俺に訊くな、征樹。」
こちとら不機嫌の極みだったつうのと、
そりゃあ整った細おもて、凶悪に引きつらせたまんまの若き幹部殿が乱暴に返す。
数年ぶりだという師走冒頭からの大寒波に震えつつ
行儀は悪いわ仁義もわきまえてねぇわという、
ただただ荒くたいばかりで不細工な青二才の集団に貼りつき、
1週間以上も張り込みを続けさせられて。
“結局、何のネタも上がらなかったわけだしよ。”
ヨコハマの裏社会では禁句というかタブーというか、
選りにも選って出鱈目に調合されたそれだろう、
劣悪な成分比率の麻薬や危険ドラッグを富裕層の青少年に売買して荒稼ぎしていた
新進気鋭の流れ者らの賊を追って来て。
こんな山中なのに何をあてにしているものか、
ポートマフィアなぞ恐るるに足らずとするよな、どれほど大きな背景が控えている連中なのかと、
そっちの尻尾をこそ掴みたいとする半隠密行動を取ってた彼らであり。
相手の動向がいまいち掴めぬのを難に、
どこかへ出向こうとする輩を捕まえちゃあ仕掛ける“小競り合い”以上は手が出せぬまま、
歯噛みをしつつもただただ潜伏中だったポートマフィアの一団は、だが。
いきなり現れた、恐らくはロシア系の筋者らの割り込みにより標的をあっさり鏖殺されたことへ、
今度はただただ呆気に取られるばかりでおり。
「ですが。
向こうの頭目らしいのが、最後に dazai とか言ってませんでしたか?」
しかも、妙に感慨深げに深々と頭を下げていたような
Огромное спасибо! って、
Большое спасибо! より親しみのこもった
物凄い級のどうもありがとうって意味のはずですよなんて、
気のせいにしたかったことを腹心の青年から告げられて。
俺にはロシア語らしいとしか判らねぇよ、
スパシーバがどうしたなんて忌々しげに眉を寄せつつ、
既に藍色に暗く染まった夜空を見上げ。
何やら得体の知れない魔物に頭を撫でられたような
複雑そうな顔になってから、はぁあと深い吐息をつくと、
自分の携帯端末を手にした中也だ。
「…広津さんか? ああ、なんか向こうの事情からあっさり片付いたらしいんで、
とりあえず俺らがこの場に居た痕跡だけ消させるよう、“掃除屋”を呼んでくれるか。」
結果として得るものはなかったが、
相手方の顔ぶれは此処へほぼ全員集結していたのだし、
何やらこちらには関係のないクチの悪だくみが跳ね返って来ての制裁で
こういう残念な結果になったらしいのは明白で。
ポートマフィアとしては、
表向きにも裏世界向きにも“殲滅されたので良し”としていいよな
後腐れはなかろう展開でもある。
狐に化かされたと思やいいものか、
それにつけても縁起の悪い名だと ふるると肩を震わせ、
ふと顔を上げれば、木々の隙間から嫌に明るい月影が覗く。
こうまでの山奥で、しかも人気もないよな廃校跡だというに、
街灯なぞないはずがいやに煌々としていたのは、
雲一つない夜空にぽっかり浮かんだ満月のせいだと今気がついた。
「そういや今夜は“スーパームーン”でしたね。」
「あ?」
? 何だそりゃあ?と小首を傾げた中也だったのへ、
おや意外だな、こういう風流なことには通じておいでな人なのにと、
こちらはそういう意味合いから、実直そうな鳶色の双眸を瞬かせた腹心殿、
「ご存知ないんですか?
月の軌道が地球に一番近いタイミングと満月が合わさって、
月が微妙ながら大きく見えるんですよ。」
「ふぅん。」
のちの月とかいった世俗風習にまつわることではなく、
どちらかと云や天文学的な話でもあったので、
覚えがなかった中也だったようで。
とはいえ、月にまつわる話というのが、
彼の胸のうちへぽつりと響いて、
何ともいえない微妙な感触を水紋のように広げてゆく。
“大きい大きい満月、か。”
あの子の異能は月の下にて強い影響が出るとか言っていたから、
だったら今宵は何か起こっているやも知れぬ。
“騒動や災難に巻き込まれてなきゃあいいんだがな。”
どういう巡り合わせか、ややこしい災禍に懐かれやすい子で、
でもでも、そんな辛苦とのよしみなぞ一切匂わせず、
ふにゃりと柔らかく微笑う愛らしい少年なのじんわりと思い出し。
十日以上も顔も見れない声も聞けない日々が続いていたのがやっと終わるのだと、
そんな嬉しい現状へ やっとのことで零れた感慨深げな溜息が一つ。
ああ早くヨコハマへ戻って愛し子に逢いたいと、
帽子をかぶり直し、気持ちを切り替えてござった、箱入り幹部様だったそうな。
to be continued. (17.11.28.~)
BACK/NEXT →
*あああ、もしかして前の章で区切るとこ間違えたかもですね。
というか、クリスマスへ食い込んだので、中也さんにも出て来てもらった次第です。
もうちょっと続きます、お付き合いくださいませ。

|